吉尾雅春先生インタビュー①:理学療法診療ガイドラインというスタンダード
はじめに
藤本:神経理学療法学会と運動器は人数も多いですよね。学会として、エビデンスをもっと発信できるような場にしていきたいですよね。。今回、藤野さんなどの若手の人も入り、学術の人も入って来たのでよかったですよね。
吉尾:森岡さんとかね。
藤本:そうですね。学術は大畑先生もいらっしゃるのでいいですけれどもね。
吉尾:妙に臨床家ばっかりでしたからね。
藤本:そうなんですよね。もちろん臨床家も必要ですけどね。
吉尾:臨床家は絶対必要ですけれども、ここまで遅滞した一番の大きな理由は、臨床家ばかりの体制だったことにあるかなと思います。射生理学の時代の遺物がそのまま残っているような。その体制を打破して、流派とか関係なく学問にしていかないといけないですよね。
藤本:アメリカだとこうだとかいろいろと言い訳を出してきて、ポジションを守るようなところがありますよね。でも、ボバースであれば、北山さんが大学院で公衆衛生の方に進まれるなど、少しずつ変わっているのだろうなという感覚もあります。でもまだ多くの人が流派で、という感じですね。臨床家の人の中には、学会にすら来ない人もいるので、発信しても届かないですよね。医師の世界ではこんなことほぼないですよね。肝臓学会は、術式によって意見が別れることがあるんですが、人を助けるということは変わらないんですよね。
吉尾:60年前の社会がそのまま残っているのでしょうね。
藤本:ある意味すごいですよね。
診療ガイドラインの作成を協会並びに学会レベルで意思決定した経緯
藤本:早速ですが質問に入りたいと思います。今2020年の発刊に向けて、診療ガイドライン作成がどんどん進んでいる時期だと思います。今回、理学療法診療ガイドラインの第2版になるわけですが、診療ガイドラインを作成する必要があると、協会並びに学会レベルで意思決定を下した経緯があればお教え頂けますでしょうか。
吉尾:私たちが、社会に信頼される立場や組織、個人でないということは、「スタンダードがない」、「基準がない」、「根拠がない」、「ただ何となくやっている」、「誰かが言っているからやっている」というような世界がずっと踏襲されてきているからです。それでは社会の信頼は勝ちとれないんですよね。ですから、いわゆるプロフェッションとして、私たちは「こういうことができますよ」、「こういうことをしますよ」と堂々と公言できる組織にならないといけないと思います。そのためには、私たちが何をする人間であるかを明確に示していく必要があります。その手段が簡単に言うとガイドラインだと思いますが、そういったものは存在していませんでした。たまたま、社会全体がガイドラインが大事だとエビデンスを求めて動き出す流れになり、遅ればせながら、私たちの協会も取り付いていったというところですね。
藤本:リハビリテーション、理学療法、作業療法、言語聴覚療法、全てだと思いますけれども、ひとつの側面として、個別性が高いという言われ方をしますよね。その個別性とは、先生が先ほどおっしゃっていたように、スタンダードがあって初めて個別性が生まれると思うんです。ですが、今の時代では、まだスタンダードの中のものを個別性と呼んでいる状態なのに、全員違うんだというスタンスになってしまっています。グルーピングしていくと、意外と同じような人もいて、そこを見ていくものが診療ガイドラインの意味だと思います。
吉尾:まったくその通りですね。
藤本:その辺りを皆さんに理解していただけるといいですよね。診療ガイドラインは世界的には当てはまる人はだいたい60%と言われているんですよね。一方で、診療ガイドラインは60%しか当てはまらないんじゃないかと言う人もいます。でも60%は臨床でいえば、相当な確率ですよね。
吉尾:ただ、こと脳卒中に関して言うと、まだ今の社会は骨折の理学療法といっているようなものです。要するに、骨折でも上腕骨の頚部骨折もあれば、外科頚骨折、大腿骨の頸部骨折、パテラの骨折、コレス骨折も肋骨の骨折だってある。れをみんな骨折の理学療法と言っているわけです。全然意味が違うじゃないですか。それを脳卒中でも言っているわけです。下手すると脳卒中片麻痺の理学療法と言っているわけです。ありえないですよ。その中でも60%当たっていたらまだいいんですけれどもね。脳卒中と言わずに脳出血や脳梗塞、くも膜下出血と言うようになったとしてもまだほとんど脳卒中と一緒です。今は、脳の中が随分分かるようになってきているので、「視床出血の理学療法」、「被殻出血の理学療法」、あるいは視床出血でも「内側核を中心とした出血の理学療法」、「背側核を中心とした出血の理学療法」、あるいは「頭頂葉と視床の背側核を結ぶ線を中心とした脳出血の理学療法」などとするとずいぶん見えてきますよね。
ガイドラインを支える要素
藤本:それは絶対的に必要な視点だと思います。いわゆるPICO(Patient、Intervention、Comparison、Outcomeの略)でいうP(どのような患者に)の部分の明確化じゃないですか。今回、ガイドライン作成に私自身も携わらせていただいていて思うのは、診療ガイドラインのスタートは、先生ももちろんご存知のようにPICOの明確化が必要ですが、Pを具体的に示せる臨床からの発信は意外となかったんですよね。
吉尾:過去はなかったですね。
藤本:そうですよね。やはりそこを作っていかなければいけないということですよね。
吉尾:そうです。過去はなかったというよりは、どこかの大学の先生やなんとか法のリーダー達などのお偉いさんたちがさせなかったですね。「現象を見ていく仕事だから現象を見なさい、画像見ても意味がないです。」、「脳は個別性があるから画像を見ても参考になりません。」といった表現を上の立場の先生がされると、当然若い人たちはそこに傾倒しますよね。その時代がこの40年ずっと続いてきたわけです。私がそこに対して「画像を見ないといけない。」と反旗翻したのが今から36、7年前です。とてもよくなった患者さんがいたんですが、その方の脳画像を見てもまったく意味が分からないという自分がいました。そこで脳の画像をいろいろと紐解いて行くと、そこにはストーリーがあり、原因があって結果がある、ということが見えたんです。
十把一絡げ(色々なものを区別なくひとまとめにして扱うことという意味)で、脳卒中の理学療法とか、片麻痺の理学療法なんて言っていたらこれは笑われるなと思いました。
おそらく医療の世界には、そういう世界はないですからね。原因があって結果があって、その結果を紐解いていくときには、原因をちゃんと見ないといけません。
ただ熱が出ているから、解熱剤を出せばいいというものではないですよね。
藤本:対処療法とは違いますからね。
吉尾:もう完璧対症療法ですよ。言ってみれば、その対症療法が60%当たっているという世界です。
藤本:そういう意味では、脳に注目した研究が日本人の研究者でも出てきたというのは、すごくいいことですよね。
吉尾:そうですね。世界的には脳画像の研究はあまりないですが、韓国は画像をよく見て研究していますね。
藤本:あまり重要視されていないですよね。
吉尾:というかあまり普及してない。全世界で見ても日本ほど普及している国はないですからね。
ただ日本の場合、は回復期で画像撮ったりするとマイナスになりますからね。
藤本:はい、そうですね。
吉尾:だから、MRI を置いてトラクトグラフィーを見る世界は日本にはないわけです。韓国にはそれがあるんです。だからいいんですよ。韓国から今どんどんそういう論文が出ています。ドクターからですけどね。
藤本:そういう背景があるんですね。
吉尾:そうですね。そういう意味では、日本の診療報酬体制が科学性を無くしている一番大きな背景だと思います。
続きはコチラ