理学療法は標準化された再現性のある評価方法が必要
藤本:荒木先生と言えばマッスルインバランス(筋の不均衡)の考え方の講義をたくさんされていると思います。マッスルインバランス(筋の不均衡)とはどのような考え方なのでしょうか?
荒木:腰痛や、股関節、膝関節痛など運動器疼痛症候群は明らかな外傷や、腫瘍、感染症などレッドフラッグを除けばその人の長年の姿勢や生活習慣、職業、スポーツなどが特定の組織に物理的ストレスが繰り返し、または持続的にかかることによる累積加重型損傷が多いと考えられます。姿勢アライメントの異常や異常な運動パターンによる特定の筋の過剰使用は、その筋の過緊張を起こし短縮傾向になります。一方、過緊張筋の拮抗筋は相反抑制の影響を受け、弱化の傾向になります。このマッスルインバランスがまた姿勢アライメント異常をつくりだし、正常な運動パターンを変化させるという悪循環をおこします。痛みにある場所を治療し患者の訴えが一時的に改善したとしても原因となっている異常姿勢アライメントや異常な運動パターンを改善しなければまた再発を起こす。つまり関節や、筋、神経というハードウエア―の治療で終わらずに姿勢や運動パターンの修正という脳のソフトウエアーの治療が必要です。
藤本:マッスルインバランス(筋の不均衡)を評価する際のポイントを教えてください。
荒木:人間の姿勢や運動は筋の張力によって影響を受けています。したがってマッスルインバランスは姿勢や運動パターンを評価して過緊張傾向の筋、弱化傾向の筋を特定し治療方針を決めます。またこのマッスルインバランスが基本的な運動パターンを異常なパターンに変えてしまう場合はこの運動パターンを修正するためのエクササイズが必要です。評価においては運動の量だけでなく質を見ることが重要になってきます。そのためには従来のROMテストや筋力テスト、ADLテストを中心とした評価方法とは違う評価方法が必要です。
具体的には①姿勢の観察 ②ファンクショナルテスト(基本となる運動課題において動きの質を評価する)③筋の長さテスト(特定の筋の緊張を評価する)④軟部組織の評価(実際に過緊張筋を触診)のような手順で行います。
藤本:マッスルインバランス(筋の不均衡)の評価の一つとして、筋の長さも関わるということですが、筋の長さとはどのようなことを指しますか?短縮との違いがあれば教えてほしいです。
荒木:姿勢の評価や筋の長さテストは古くからケンダルの「筋・機能とテスト」に記載されています。他動的な関節可動域を計るのではなく、筋の緊張を評価します。決められたポジションで関節を動かし可動域最終での抵抗感いわゆるエンドフィールをみます。これ自体はセラピストが感じる主観的な感覚ですが左右比較はできます。
決められたポジションで重力の影響で置かれた肢位が基準よりも可動域が少ない場合過緊張と判断し、さらに他動的にその肢位から動かし一定の可動域まで達しない場合を短縮と判断します。しかしすべての筋にこの基準を作ることは難しいので可動域制限がある場合短縮、可動域制限はないが緊張が高いと判断される場合過緊張と評価します。
藤本:マッスルインバランス(筋の不均衡)が痛みの改善、動作の改善に必要だと感じたきっかけは何かあるでしょうか?
荒木:勤務先の異動により病院の業務から地域での相談支援事業の担当になりました。アスリートや知的障害や発達障害のある子供に対するリハビリ相談を始めたころ従来のMMT、ROMテスト、ADLテストでは評価できずまた何を指導してよいかわかりませんでした。今まで病院の患者さんを相手にして行ってきた評価方法ではうまくいかなかったのです。傷害の予防や子供の運動指導を行うには病院のように疾患に対してのアプローチでは足りない部分が多くありました。そこで勉強し取り入れたのがヤンダアプローチやMSIアプローチ、DNSアプローチといったモーターコントロール系の考え方でした。他動的な治療ではなく対象者が自分でできるセルフケアーや運動療法が必要になったのです。
藤本:今までの臨床において特に印象に残っている患者さんとはどんな方でしょうか?
荒木:印象に残っている症例はたくさんあります。うまくいった症例よりもうまくいかなかった、または自分の無力さを感じた症例がいつまでも頭の中に残ります。患者さん顔も忘れないものです。ふっと思い出し「ギャー」と言いたくなるようなことは今でもあります。これは医療に携わる者の宿命かもしれません。
藤本:マッスルインバランス(筋の不均衡)の考え方が最も当てはまる疾患はどのような疾患でしょうか?
荒木:運動器の疾患を見る場合でのような症例でも当てはまります。特にマッスルインバランスが目立つのはアスリートと障害のある子供たちです。この両者は両極端にあるわけですが共通したマッスルインバランスが見られることが多くあります。
藤本:マッスルインバランス(筋の不均衡)の考え方を基にした治療を行った際の効果判定をする際にはどのような点に注目して効果があったと判断されているのでしょうか?
荒木:まず痛みのない自動運動可動域を左右差のない形でできるようになることです。そして簡単な運動から代償運動を修正できているかどうかをみます。患者さんの主訴ではなく再評価により異常所見が改善されたかどうかを判断します。
藤本:以前リハテックリンクスのセミナー紹介のコメントで「理学療法は標準化された再現性のある評価方法が必要」とおっしゃっていましたが、「再現性」という点で先生はどのような点に気を付けながら教えていますか?
荒木:理学療法は診療の補助行為であり「医業」とみなされます。医療行為である以上理学療法士によって評価や治療方法がばらばらであっては問題です。その理学療法士の思いや得意分野で同じ職場であっても違う評価方法や治療が行われるような現状は早期に改善しなければなりません。もちろん得意分野があってもいいのですが基本的な部分では標準化され、また誰が行っても経験年数に左右されずに同じ評価結果や治療効果があるよう職場内で一貫性をもたせる努力が必要だと思います。それが半世紀前と同じMMT、ROMテスト、ADLテストだけでは現状に合わなくなってきています。この評価方法はなおらない障害を持つ人に対して代償的な機能訓練を行い社会復帰させることが目的であった時代の評価方法です。もちろんMMT、ROMが必要でないという意味ではありません。
熟練した技術を要する評価方法や、治療技術はもちろん理学療法士には必要なことですが基本を身に着けその上に積み重ねていくことでなければなりません。臨床実習生や1年目の理学療法士が自信もってできる評価と治療の基本を今の医療の状況に合わせたものを作っていかなければなりません。
藤本:標準化された再現性のある評価方法や治療が作られていくために、必要だと思うことはありますか?
荒木:専門性を上げるということは物事を複雑化するのではなく理学療法士の専門知識を医師など他の医療専門職や患者にわかるように単純化していくことが必要だと思います。理学療法士同士でないとわからないようなことは一般には受け入れられにくいものになります。難しいことを単純に簡単にしていくことが専門家の仕事だと思います。
藤本:先生は徒手療法を行う上で、気を付けいることはありますでしょうか?
荒木:私は今の職場では徒手理学療法を行っていません。
藤本:徒手理学療法をされていた時は、練習はどのようにおこないましたか?
荒木:私が徒手理学療法に興味を持ったのは1995年くらいのことです。その当時はまだ日本で徒手理学療法を学ぶ講習会があまりなかったのでアメリカのコースに参加しました。インターネットもない時代ですからいろいろ苦労や失敗もしましたがそのころ得た知識や経験は今でも役立っています。
藤本:先生が徒手療法を学ぶ上で、一番意識していたことはどのようなことでしょうか?
荒木:適応を判断できることです。
藤本:先生は、著書として「理学療法士列伝 EBMの確立に向けて 荒木茂 マッスルインバランスの考え方による腰痛症の評価と治療」を出されています。理学療法士のEBMを確立していく為には、どのようなことが必要でしょうか?
荒木:これは私のようなものが答えるよりは多くの大学の先生や学会でもすでに語られていることです。現場ではだれもがEBMのための研究しそれに基づいて治療するということを行っているわけではありません。研究機関の役割、大学病院の役割、クリニックに働くものなどその立場によって情報を共有しながらより安心、安全な医療を提供していくことは医療全般に共通したことです。ただ理学療法の場合は理学療法学会の立場や権限がまだ発達途上のように思います。日本理学療法士協会ではなく、学術団体としての理学療法学会が一定の指針や権限を持つよう充実させていかねばなりません。
藤本:先生は、先ほどの著書の中で、臨床実習の問題点についても触れられていますが、臨床実習がいじめとなってしまう場合があるのにはどのような理由で起こっているとお考えですか?
荒木:ここ10年以上臨床実習をみていないので最近のことはわかりません。
藤本:講義で心がけていることがあれば教えてください。
荒木:私はいつも講義の最初にお話ししていますように学問を究めたわけでもないし、素晴らしいテクニックを持っているわけでもなくありふれた地方の理学療法士です。ただ若いころから多くの失敗を積み重ねてきた「しくじり先生」としてこれからの若い人たちが私と同じ失敗をしないように伝える役割があると思います。最近心掛けていることは難しいことを簡単にできる工夫です。