機能訓練主体から機能構築主体へ -前編-
理学療法士業務
社会全体の意識が変わる予感がする昨今、理学療法士は訓練だけを行なっていては時代のニーズに対応出来なくなるのです。理学療法士が理学療法士しか出来ないような卓越した技術を持たなければ理学療法士の専門性を主張出来なくなるのです。四肢の運動システムや動作のシステムを構築する技術を持たなければ理学療法士の存在する理由がなくなるのです。
理学療法士は豊富な医学的知識を持ち、身体機能障害に対して評価、問題点を摘出、ゴールを設定、プログラムを作成しますが、身体運動障害を関節或いは肢の障害として扱い部分の機能障害として認識しているため多くの場合対応方法は関節可動域確保、筋力強化、動作訓練と画一的になっているのです。
理学療法士の持つリスク管理の知識と機能改善としての機能訓練は当時としては画期的なものであつたが、40年を経て今日、延々と続ける医療との謂われなき批判を受けている、このままでは結果の出せない医療技術者として衰退する危惧感じます。
理学療法士は運動器疾患のみならず内部障害に対する知識、関節運動に対する知識、身体運動に対する知識、心理学的知識、と膨大な知識を持ち身体運動機能障害に対して評価することが出来、問題点を摘出、プログラムを作成することが出来ます。しかし、プログラム実施方法(技術)を持たないが故に訓練と称して患者に丸投げしています。プログラム実施方法を患者さんに丸投げするならばプログラム作製以降、理学療法士の存在理由はあるのでしょうか?
理学療法士の業務が
単関節のみの関節可動域改善を図るなら、
抵抗を掛けるのみで筋力強化を図るなら
動作を繰り返すことで動作能力を獲得させるだけならば
理学療法士の存在理由を理学療法士自身が認識出来なくなるのではないでしょうか?
多くの理学療法士が理学療法士の業務に閉塞感を感じている理由がここにあるのではないでしょうか?
人間は立っている人が歩き、寝て、起きて、座りそして様々な動きをする動物なのです。人の基本的な形態が立位であることを概念として持たなければ人間の動作の構築は困難になるのです。何らかの原因で運動機能が損傷すると人間としての基本的な形態の構築が破綻し動作の困難、若しくは不能になります。この「破綻した運動機能を再構築する」事こそ理学療法士の主たる業務であり理学療法士として専門性を主張できる分野であると私は考えています。
理学療法士は運動機能に関わる知識を多く保持している職種です、人間の機能を身体の部分から身体全体に理学療法の視点を転換機能訓練主体から機能構築主体への移行出来たならば理学療法士の卓越した技量を発揮できるのではないでしょうか。
理学療法の創造
里道徳雄著 臨済録、示衆、黒漫漫地の意義解説に人は知識の世界を追いかけて行きますといろいろなものを吸収しながらその中でもの、を考えていくという論理が頭の中で定着していきます、ですから何かが入ってこなければどんな疑問も出てこない、疑問を出そうにも結局は入ってきた知識の中でしか疑問が湧いてこないのです。と書かれています。
先ずは、目の前の現象に疑問を持ち、自由な発想を展開して、解決方法を見つけることが大事なことではないのでしょうか
最近の事ですが、どうして形態構築なる概念を思いつかれたかと聞かれて、考えたのですが、私は理学療法士として系統的な教育を受けていないが故理学療法士として常識が無かったため、自由に発想を展開出来たのではないかと思っています。事実を事実として認知して疑問を感じたとき時に、理由を考えそして解決する方法を考えなければ技術は進歩しないのではないかと思います。
理学療法士は殊の外知識を得るため努力しています、研修会、講習会などにこれほど参加している職種は無いのではないかと思います。理学療法が人間の運動機能障害に対する治療技術であるという原点に戻って理学療法を考えなければ理学療法士の未来はありません。人間の形態を認識し、人間の形態から機能を考え、人間全体を視野に入れて理学療法を考えることにより機能回復の手段がまだまだ見付け出せると私は考えています。
機能回復の手段を多く見付け出してそれらを統合することで、やがて理学療法の体系ができ上がり学問として確立していくと考えます。現在のように情報が多く、また治療マニアルが完備されている時代であっても理学療法技術の結果が個々の理学療法士によって異なることはしばしば経験することです。個々の理学療法士によって理学療法技術の結果が同じであったなら患者さんの利益は計り知れないものになると思いますが、現実にはそのようになっていません。個々の理学療法士によって治療技術の異なる理由として個々の理学療法士の知識量と知識を応用する能力の差があるからです。理学療法の基本は技術であり、技術は経験により磨かれ、経験は治療概念によって体系づけられ学問となる、個々の理学療法士はそれぞれが自分の理学療法を創り研鑽することが理学療法技術を磨くことなのです。
自分の理学療法を創るということは自分の理学療法概念を創り、理学療法体系を創って理学療法を行うということです。
決して難しく考えるということでなく自分の能力に応じて創ればいいのです、自分の理学療法概念と体系があればどんどん修正が出来てよりいい方向に理学療法を創ることが出来るからです。
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