意思決定の中に行動療法を取り入れて欲しい-前編-

意思決定の中に行動療法を取り入れて欲しい-前編-
リハデミー編集部
2019.03.05
リハデミー編集部
2019.03.05

理論をもとに行っても実証してみると全く逆の結果がでることもある

藤本:では今日は竹林崇先生にお越しいただき、インタビューを行いたいと思います。

私は豊通オールライフの藤本と申します。今日は講習会お疲れ様でした。

竹林:ありがとうございます。

藤本:今日の講習会はどのような内容だったのでしょうか?

竹林:基本的にはCI療法の話をしたのですが、CI療法の方法論というよりは、人というものを神経科学や心理学から紐解いて、状況をどのように行動変容につなげていくかという話をCI療法の手法に載せて細かにお話した形になります。

藤本:行動変容は、今、すごく医療の中では注目されていて、大事といわれていますけれども、医療者が行動変容といいますか、行動科学について学ぶ機会はすごく限られていると思うんです。たとえば、医学の世界での行動医学だったら、コアカリキュラムとして行動医学テキストというのがありますが、セラピストではカリキュラムがありませんよね。

どうしたら行動科学は広まっていくのでしょうか。

竹林:本質的な話をしだすと、恐らく大学教育の中では心理学という選択科目になっていますが、行動心理学や周辺科目を必須科目としてイメージしていくことはすごく大事だと思います。だた、あと5年10年して、行動心理学などが医学や看護に浸透し、地盤ができてからの話だと思います。

藤本:やはり、少し遅れて入ってきますよね。

竹林:メディカルな部分から精神的なものを入れていくのは色々な兼ね合いもあって難しいと思いますので。

藤本:医療でも、例えば糖尿病内科などは患者さんに行動を変えてもらわないといけないですよね。同じようなことがセラピストにもいえると思います。

竹林:はい。

藤本:どちらかというと、セラピストの中ではハンズオンの勉強は皆さんすごく熱心に行っていますけれど、意思決定論などの行動を変えるためのコミュニケーションの部分は、なかなか勉強するところまでいっていないという認識があります。

先生もそのような感触はお持ちでしょうか。

竹林:多分パラダイムの問題だと思うのですが、作業療法士、理学療法士ですと、教育カリキュラムや経験によって培われているアプローチでは、ひと昔前でいうインペアメント、ファンクションレベルでの焦点が当たった介入の部分が非常に強いと思うんです。

その人を科学するという観点で、あまりアプローチ方法が提供されていなかったり、考えられていなかったりということは非常に感じるところです。ですので、行動変容などの話が世間で注目されてくるのはすごくよいことだと思います。インペアメント、ディスアビリティ?で行っていたアプローチをどうやってその人中心のアプローチに消化させていくのか

という点が今、過渡期だと思います。

藤本:やはり、そのように考えると、認知行動療法などもですけれども、行動科学のアプローチは比較的エビデンスがしっかりしてきている印象があります。リハビリでは、行動の中の機能に対するエビデンスはやたらと研究が行われているイメージがありますが、行動を変えるためのエビデンスというのは、私はCI療法以外にあまり聞いたことがないのですが、他にもあるのでしょうか?

竹林:上肢に関していうと、たとえばCI療法でもあえて活動量計などではなく、主観的な行動評価モーターアクティビティログを出しているというのが実は非常に大事なところです。ご本人の世界観としてどう変わってきたかというところを評価できるものですよね。そういうところに対してしっかりアウトカムをとっているものはCI療法しかないですし、本人の世界観がどう変わるかという視点でデータを見ることのできる人も少ないです。

結局は主観データであって客観データには勝らないというところがバックグラウンドで広がっていかない理由だと思います。エビデンスもそうですし、この業界を取り巻くバックグラウンドも少しずつ変わる必要があるのかなと個人的には思うところです。

藤本:昔の医学の世界の機能が優先的に改善する方向にあり、内科的な流れとしてはPatient Reported Outcomeも大事といわれています。研究を見渡しても日本語の論文だとあまり患者による直接的な評価に着目した研究はないですよね。例えばPTの世界だと床反力がどうとかいう内容で、結局それが変わったことでその人は本当に行動を変えられたのか?というような。どうすれば変わるのかなと思うこともあります。

竹林先生はよくCI療法や課題指向型アプローチをされていますけれども、どうしたら若手が行動変容に興味を持つようになるかなど、教育に関して気をつけていることはありますか?

 

コミュニケーションを通して解決していきたい

竹林:CI療法自体が行動療法であって、かつエビデンスが確実にあるというところで、行動療法をどうクローズアップしていくかというよりは、エビデンスが確立されているものが行動療法だからという、いわゆる疫学的な教育を行っています。

情報検索の仕方や、手法の意思決定の仕方を学生のときから常々話していくことがすごく大事です。多くの医療従事者がつまずいている意思決定の部分をベースにすることと、世の中の多くの優秀な研究者たちが培った知識のベースがどこにあって、今自分の前にいらっしゃる対象者の方がどこにいらっしゃるのかという視点を学校で教えたいと思っています。行動療法がどのようなものかということももちろんですけれども、疫学の観点から行動療法はこういう結果を残しているからこういう風に意思決定をしていくべきだ。その中に行動療法を取り入れるべきではないかというところが大事だと思っています。

藤本:疫学の部分は私も公衆衛生がバックグラウンドにあるのですが、なかなか学ぶ機会がないですよね。

竹林:そうですね。

藤本:行動医学は基本的には公衆衛生の一つなんですよね。ですが、理学療法、作業療法、言語療法の中でそもそも公衆衛生学の授業はそんなにないですよね。公衆衛生看護はありますけれども。

竹林:うちの大学では選択必修です。取らなくてもいいんですよね。

藤本:しかもそこで教わる公衆衛生学は、広義より、狭義の意味での公衆衛生学ですよね。

竹林:どっちかというと病理などに近い感じです。

藤本:公衆衛生を体系的に学べる場所は卒業後だと大学院などになるのでしょうか?

竹林:リハビリテーションの大学院では教えられる先生が基本的にはいないので藤本先生がおっしゃっているように医学分野の公衆衛生の教室の門をたたくという形になると思います。そこへ行くにしても、他の学問とは派生の仕方が違って少し特殊ですので、リハビリテーションに対する世界観をしっかりと持っておく必要がありますね。

藤本:特殊ですね。

竹林:ですので、がっちりと従来型の疫学の考え方をはめこむと、干渉を起こして対立するでしょうし、その辺りをもう少しうまく行っていくためには、どのようにすればよいのかなと思いますね。

藤本:ただプロパーでないにしても、公衆衛生作業療法や公衆衛生理学療法があればほんとはベストですよね。大学の先生たちもある程度研究されている先生であれば、公衆衛生を恐らく一旦はかじっていると思います。

竹林:はい。

藤本:吉備国際大学の学生さんにはそのような教育を重んじているのでしょうか?

竹林:一応そういう形で話します。なぜこういうことをしないといけないかというのは今日も講義の中で少し触れたのですが、結局、僕たちは対象者の方のその時期には二度と戻れないわけです。一時期にはひとつの手法しか使えないので、エビデンスが確立されていないアプローチをして、もし、モーターアクティビティログが上がったとしたら、「エビデンスが確立されているはCI療法でないといけないと言っているけれど、他のアプローチでも上がるじゃないですか」、という曲解をしてしまうんですよね。

ほんとにエビデンスを考えてよくわかっていたら、「今のアプローチではこういう改善があったけれども、もし違う手法で行ったらもっと改善したかもしれないよね」という話になりますよね。

そのような疑念を学生には、常に持ってほしいと思っています。公衆衛生や疫学が発展してきたバックグラウンドがあって、理論をもとに行っても、実証してみると全く逆の結果がでることもある。それを、事実、証拠、実証という、現在の手法決定における大切な位置づけとして知っておいてもらうと、臨床を出てからも少しは違うかなと期待をしています。

藤本:それいいですね。というのも、色々な講習会で講師の先生の話を聞いていると、どちらかというと手技の系統の先生たちは目の前の患者さんが大事で、エビデンスに従うことではなくても、「よくなったでしょ」という言い方をされていることが結構多いんです。

でもそれは、例えば、「タバコを吸ったって肺がんにならないでしょ」というのと同じなんですよね。目の前の患者さんももちろん大事で結果も大事なのですが、エビデンスに対して

敏感に反応できる体制が整っていると、「たばこを吸うと肺がんになる。」というエビデンスは周知の事実としてあるのに、リハビリになったとたんに途中でコロッと考えが変わりますよね。

竹林:そうですよね。

藤本:そういったところがメタ認知ではないですけれども、客観的に見る能力がすごく低いと感じています。医学は比較的まだよい方かなと思っているのですが。

竹林:そうですね。

藤本:リハビリ業界は、そういう人が結構多いですよね。

竹林:アプローチそのものに自分の人生の時間もかかるので、色々な意思決定にバイアスがたくさんかかるのだと思います。あと、エビデンスというものを考えたときに、「今、この人に対して行っているアプローチよりも世の中にはもっとよいアプローチがあるかもしれない。」という考え方も大事ですけれども、もう一つ大事なのは、例えよいものがあったとしても対象者が望まなければ使えないというエビデンスの圧制ですよね。そういうのもコミュニケーションを通して解決していかないといけないですよね。

そこまで深い患者中心のコミュニケーションが言われているにもかかわらず、今のリハビリテーションの領野では、患者さんに対して、療法士の得意なアプローチ方法でパターンリズム的に決定している部分があるので、そもそもの起点が、行動科学に乗ってこないですよね。色々なアプローチや意思決定のされ方、エビデンスも含めて患者さんが幸せになるための方法を考えていくという思考が学生に入ってほしいなと思います。

藤本:基本的にエビデンスがあるからとか、エビデンスレベルが高いからという理由で行わないといけないということではないのですよね。もちろんエビデンスレベルが低い、神経難病の研究や症例報告、オペもそうですが、意思決定過程でバイアスをできるだけ排除した状態で自分たちが何を提供できるかという視点が大事かなと思います。

竹林:そうですね。

藤本:やはり色々な手法を知っていないと、できないですよね。自分が好きな手技だけしかしていないと、その時点で、いくらディシジョン・メイキングをやろうと思っても、シェアできないですよね。

竹林:引き出しがないと選択肢がないですからね。

藤本:引き出しの一つとして手技も、CI療法も、捉えていける医療者のリテラシーが高まっていくといいなと思います。

竹林:あとは技術を教える方が、アプローチについてRCTやシステマティックレビューを通して対象者のアウトカムに対する得意な部分や苦手な部分をうまく説明して整理した状態で世に頒布することが大事だと思います。全部の対象者に対して全部よくなりますでは、色々と患者さんを見せていただく中で個人的にはありえないと思うので、情報を発信する側としては、意識していく必要性を感じていますね。

藤本:いわゆる一つの論文によるエビデンスは、当てはまるのなんて10%、20%の世界なんですよね。エディという人の論文があるのですが、ガイドラインですら確か65%程度なんですよ。その上のスタンダードは確か70%、80%で。ガイドラインの通りにやってみましたがよくなりませんでしたというのもよくありますよね。

竹林:やはり議論する中でよくあるのはガイドラインの字面だけ見ているんですよね。引用している論文を見て初めて対象者やアウトカムの状況が見えてくるので、そこまで見て、目の前にいる患者さんの問題に対するソリューションかを選択しないといけないですよね。

藤本:もちろんそうですよね。診療ガイドラインの読み方として、清書文しかみんな読まないですよね。それ、自分で研究しようかなと思っています。どこを読んでいるかというような。

竹林:よいことだと思います。だいたいグレードしか見ていないと思いますので。

藤本:やはり大事なのは解説文と孫引きの論文ですよね。診療ガイドラインはたくさん出ていますけれども、そういったところが見えてこないとエビデンスベイストには程遠いのかなと思います。ガイドラインの押しつけになりそうなところがすごく怖いですね。

竹林:だからどうしてもリハビリテーションの歴史であるのは両極端なんですよね。よいところでバランスをとるのがEBMやEBPだと思うので、そのような概念がたくさん広がってほしいと思います。

藤本:少し話がかわるのですが、昔から臨床・研究・教育と三本柱で大事と言われていますよね。昔よりは少しずつ増えているとは思うんですけれども、

「自分は研究はやりたくない」とか、「別に研究をしても臨床は変わらない」と思っている方が多いと思うんですが、そういった点はどのようにお考えでしょうか。

竹林:僕自身、自分の研究で否定されることが結構あるので、自分自身が立てたプロトコルがあっさりと崩れて「あれ?こんなはずじゃなかったのに」ということもあります。

細かい症例をまとめることで知識が統合されて、次の患者さんに使える引き出しが増えることもあるんですよね。エビデンスのレベルにかかわらず、研究をするのは、正確に自分を客観視する行為だと個人的には思っています。僕はそれがあるので思いのままにあまり進まないのだと思っています。自分がセッティングして行った研究が否定されると自分が思っていたことを押すことはできないですよね。もう一回追求しても同じ結果だったら、研究のバイアスのせいではない、事実に近いのだろうなと自分を戒めることができます。

そういった点では、特に情報発信をする影響力のある臨床家だとか、社会にでる前の学生に影響力をもっている大学教員はマストだと思います。自分は少し苦手だからといってやらないのは自分の感性や主観のおしつけであったりしますし、そもそも、中立の立場でないといけない人間が、感情にひっぱられてしまう形になるので、研究は大事だと思います。知識を残していくことやエビデンスももちろん大切だと思いますけれども、一個人の中でも中立性を守ることが非常に大事なんです。

藤本:臨床で必要なスキルですね、問題は。教育者や講師もだと思うのですが、自分の仮説を立てるうえで都合のよい情報を取りがちになるのは、なかなか拭えないことかもしれないですが、それすらも行わなければ、もっと大変なことになっていますよね。

竹林:そうですよね。

藤本:おそらく講習会の受講生は、講師の先生が言ったことを全部信じていると思うんですよ。「孫引きなんて絶対しないでください」と思います。研究するということに関しては、そういった所が教育レベルとして成り立っていかないといけないですよね。

竹林:僕がよく知っている研究や、公衆衛生に治験がある方は基本的に言い切らないんです。

確率的な話として、レベルに応じて「僕は思うだけです」という主観の話をされたり、「これぐらいのスタディーでこんな結果です」という事実の重み付けをされたりという方が非常に多い印象です。

でも、研究されていないスピーカーの方は言い切ってしまわれるんですよね。目の前でみた現象がそのものなので言い切ってしまう気持ちもわかるのですが、そこでブレーキがかかるのか、聞いている方に対しても全く間違いないことなのか、それともそう思っているだけなのか。研究をされている方は段階づけた情報発信も非常にシステマティックにされるなというイメージはあります。

藤本:研究をしていても、公衆衛生も含めた疫学的なバックグラウンドなしで行っていると、結果的に言い切ってしまうところがあるんです。

竹林:そうですね。あと研究で言い切ってしまう人は多分後ろ向きコホートをしていなくて、介入試験で比較して、結果、誤差ではない変化が出るかどうかだけを見ているんですよね。

後ろ向きの要はサブアナリシスなので、RCTを行ったあとにそれを行っている研究者は、絶対線引きはするはずです。

藤本:確かに、RCTだけだと外的妥当性が低いですから、RCTで結果がでたからこれがいいとは本来はなかなか言えないですよね。後ろ向きや前向きコホートでも、内的妥当性だけではなく、外的妥当性が高めの研究FRCTデザインで検証されたものから得られるものも多いですよね。

竹林:そうすね。

藤本:確かにリハビリ職の人たちはRCT絶対論みたいのがありますよね。

竹林:僕たちもレオゴースタディで、後ろ向きコホートをかなり細かく行っています。サブアナリシスを細かくしているので、よいところも知っていますけれども、一番レオゴーの限界も知っています。その立ち位置がとれるのは、介入研究を行っていく際には必須だと思います。

藤本:確かに、RCT絶対論の人は、おそらく肺がんとタバコの関連の研究をするときに、タバコを吸わせるんですよ。タバコを吸わせるなんて倫理上ありえないですよね。そうして考えると、後ろ向きや前向きコホートで行っていくしかないのですが。

竹林:そうですね。

藤本:自分たちが見たいものをみるための研究デザインという感覚はたぶんないです。検証能力がないといっても過言ではないくらいの感じになるのかなと思います。

竹林:特に、台湾の優秀な研究者と話をしていると、そんな研究はインパクトがある雑誌に出せないとよく言われます。上肢の研究をするといったらフューゲルメイヤー絶対論みたいなものがあるんです。ですが、フューゲルメイヤーって、今の世の中のソリューションにはならないと思うんです。設定したアウトカムの時点で、研究で世の中の何を説きたいのかというところがないと思います。さっきおっしゃった何を調べたいのかというところのバランス感覚が悪いのかなというイメージはあります。

藤本:研究指導をしていても、なかなかそこから抜けられない、病院で固められてしまっているPTさんやOTさんは研究指導をしても響かない感じがありますね。学生のうちからやはりしっかりやっていかないといけないということですよね。

 

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