一人ひとりのブラッシュアップ -前編-
時代が理学療法士に求めるもの
昭和41年に導入された医学的リハビリテーションは時間の経過と共に有史以来外文化を取り入れて日本的に変容して定着させてきた日本文化は、リハビリテーションに於いてもリハビリ(ネットで後療法と調べると括弧してリハビリ)と訳され、予防、治療、リハビリテーション、ケアの4部門に分類される医療の改善の治療部門として認識されて定着、理学療法士にリハビリテーションではなく身体運動機能を治す事、治療を求めるようになってきているのです
日本の社会では障害を受容できない文化と、障害を受容しなくてもすむ社会環境があっため、多くの人々は一生をかけて障害をなくすため専念することが正しい事との考え方を持つようになっています
障害を有する人に障害を受容する事で人としての尊厳を保って生活できる機能を獲得させるというリハビリテーションの理念の下に教育されて来た理学療法士にリハビリテーションではなく理学療法士に対して再び「身体運動機能を回復する医療」としての方法(技術)と結果を求めるようになってきているのです。
補
1、日本社会の障害者観
内閣府による平成21年調査、障害を理由に無意識に差別が
あると思う43.2%
少しはあると思う48.3%
無いと思う3.7%
分からない4.8%
歴史的な偏見(平安時代の穢れ)は現在では流石に無いが、通常の人より劣ると言う偏見は未だに存在している。まだ、特別視して見る差別はあるので、身体に障害を有するものは病人として自己を保たなくてはならないのが現状である
2、国民皆保険制度
昭和33年(1961)に法律192号が改正され全ての国民に医療保険制度が確立。理学療法士誕生以前の理学療法は後療法としての物理療法が中心であった。昭和41年以前の理学(物理)療法はリハビリテーションという概念が無く後療法(大正時代に導入された身体運動障害に対する物理療法)という概念のもとマッサージ師が整形疾患に伴う運動機能動障害を中心に、中枢神経疾患に起因する運動機能障害に対しても後療法という概念に基づいて治療として運動機能回復を担当していました。
後療法という観念で構成されていた理学療法部門はマッサージ師を主体とした部門で整形外科に所属し物理療法部と一般的に呼称され 電気、温熱、水治療法及び牽引療法の機器が整備され治療台も数多く整備されており現在のリハビリテーション室と比べ訓練室の広さに劣るものの対象は主として関節機能を対象としていた治療部門であったため十分であった。
しかし、リスク管理能力の不足から発症から治療開始までの期間が長期にならざるを得ないため良好な結果が必ずしも良好とは言えなかった。
理学療法士の誕生と期待「リハビリテーション」から「リハビリへ」
後療法とネットで探すと括弧してリハビリと記載されています、大正時代から広く日本の医療に広まった後療法が60年ほど続いてリハビリテーションに変わったのだが、後療法のインパクトが大きかったのか日本におけるリハビリテーションは後療法と交雑してリハビリとなったと推定される
昭和41年医療分野でのリハビリテーションという概念を米国から導入予防、治療に次ぐ第三の医療としてのリハビリテーションの分野に日本での初めてリスク管理が出来る機能訓練士として理学療法士を、生活動作訓練士として作業療法士の必要性が認識されてリハビリテーション黎明の旗手として颯爽と登場しました。
当時は片麻痺を例に取れば発症年齢が50歳代が圧倒的に多かったにも関わらず寝たきりになる人たちが多く脳出血や脳梗塞は中気、片麻痺はよいよいと民間では言われた時代だったので杖を突いていても装具を付けても歩けることは驚異的な事であったが現在では発症年齢が高くなったのにも関わらず歩ける事が当たり前になった、そして人々は更なる改善を求めてきている。
日本においては障害を受容できない文化と障害を受容しなくてもすむ社会環境があるため多くの人々は一生をかけて障害をなくすため努力することが正しい事との考え方を持つようになり理学療法士に限りない身体運動機能復元を求めるようになっています。更に近年の人口動態からみても、今後福祉の後退は予測される、世界に誇れる 国民皆保険制度の改変も加われば、リハビリテーションに対して 効果を要求する時代 が来ると推測されます、その時矢面に立たされるのが理学療法士なのです。
このことは「障害を有する人に対して人間の尊厳を保って生活できる能力を獲得させるというリハビリテーションの理念」の下に教育されて来た理学療法士にリハビリテーションではなく身体運動機能障害を改善する治療を要求される事になり結果が出ない治療法として謂われ無き非難を受けることになっている現況を更に厳しい状態に追い込むことになるでしょう。
理不尽な感がありますが別の見方をすれば、多くの人々が理学療法士に期待を抱いていると言うことです。
多くの人々が期待を抱くと言う事は社会が期待を抱くと言う事であり、時代が身体運動機能障害に対する改善を理学療法士に要求していると言うことなのです。
理学療法士の意識の転換 (結果に対する責任)
第3の医学としてリハビリテーションなる概念が日本に導入されて約半世紀、リハビリテーションはリハビリと改称され治療の一分野として変容、時代は理学療法に対して期待を増大しているのです、時代の要求に対応できなければ理学療法士の未来がどうなるのか、予測出来ます。
一人一人の理学療法士が理学療法をどのように進化させたいのか、志を立てて「今」を行動しなければ、貴方は今のままです、理学療法も今のままで、時代が変化していたら貴方の有用性はなくなるでしょう。
設問→結果に対する責任を考えた事がありますか?
最近、池ノ上寛太著、「リハビリの結果と責任」三輪書店発刊を読む機会を得ました。患者は「時間」「労力」経費」を使っている、それをリハビリスタッフの方たちはどんなふうにとらえているのだろうか、企業と違って結果が数字となってあらわれないからこそ「責任」の意識が必要になってくるのではないかと批判している。
第一章では旅行中の事故-戦いの始まりの見出しで頭部外傷の状態とリハビリのための転院の経過が綴られている。
第二章ではリハビリ技術の格差-湧き上がる疑問と心の葛藤の見出しで理学療法士個々の技術格差への疑問を訴えています。
第三章では繰り返されるゴール見えないリハビリの見出しでリハビリにプロ意識はあるのか-湧き上がる疑念を切々にここでも訴えています。
第四章ではリハビリの結果と責任の見出しで疑問だらけの歩行訓練にリハビリに成功と失敗があるのか、本当に治療する気はあるのだろうかと、リハビリの世界は何か変だとここでも疑問を訴えて。
第六章では辿りついた最後の病院の見出しで転院を繰り返して辿りついた病院でリハビリの期待を抱けるようになり、創意工夫のリハビリを受けられるようになり。
第七章では闘病生活の終わりの見出しでリハビリスタッフの情熱に応えるためにも自宅に戻った。
第八章では現在の生活の見出しで障害受容を考えられるようになったと結んでいる。